第一部 極東ロシア自転車旅行記

文章は全て帰国後に書いています。

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2013年夏 ハバロフスク~ウラジオスク間 極東ロシア自転車旅行

第一部 極東ロシア自転車旅行記
 旅の記録としての旅行記
第二部 ロシアを自転車で旅する技術
 個人旅行者のためのVISA取得方法、田舎での宿の探し方、現地の道路状況、輪行についてなど。

第一部 極東ロシア自転車旅行記

■ 1 はじめに
旅のテーマは、ハバロフスクからウラジオストクまでの740キロを
時間の許す限り自転車で移動すること。

日本から見て、ハバロフスク・ウラジオストクの位置はこの通り。
とっても近い外国、ロシア。
飛行機で成田からハバロフスクに降り立ち、
自転車、ならびに電車で移動した後、
ウラジオストクから成田に戻る。

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■ 2 旅行記
2013年8月4日(日)~8月11日(日)
7泊8日

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8月4日(日)  走行距離:10キロ
16:30 ハバロフスク空港着
空港~ハバロフスク市街自走
ハバロフスク(Хабаровск)泊

出発間近は毎度のことながら不安と後悔でナーバスになる。
何でこんなことしているんだろう、無事に帰れるんだろうかと。
しかし、日本時間12時過ぎに成田を出た飛行機は、
2時間ちょっとのフライトで定刻通りハバロフスクに到着した。

自転車やキャンプセットを持っての入国審査に緊張していたが、
何の問題もなく通過し、ロシアへの入国を果たした。

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ハバロフスク空港にて

ハバロフスク空港の出口を背にして左に走るという
ざっくりとした計画で市内へと向かう。
ひとたび走り出すと、今までの緊張から一気に解放された。
思わぬ爽快さに、「うおーロシア!!」と叫びながらペダルを回す。
ついにロシアにやってきたのだ、自転車と共に。

ボロボロの自動車やトロリーバスが走っている様子は、
ヨーロッパというより東南アジアだった。
今まで旅してきた地域とのつながりを感じて親近感を覚えた。
日本から一番近いヨーロッパ、いや違う、ここはアジアだ。

10キロほどの軽いサイクリングを経て、
ハバロフスク駅に到着する。
駅舎は欧風で重厚な作りの建物だった。
ここに来てようやくヨーロッパの片鱗を感じた。
しかし、思い返してみれば、ミャンマーだってヴェトナムだって
コロニアル様式で古い建物はとても立派だった。
そういうわけで、やっぱりアジアのどこか他の国にいるような気がしてならなかった。

駅の近くにあるホテルにチェックインして、
近くのスーパーに買い出しに向かう。
スーパーの入り口に必ず警備員がいることに驚く。
万引き防止のため、バッグは入り口でロッカーに預ける。
「治安」という単語が頭に浮かび、用心しろよと心のどこかで警笛が鳴る。
まずは明日の食料と水の調達が最優先だ。
自転車で旅をしているとどこで補給できるかは不確定である。
町と町の間が100キロ離れている場合、
それは時として、100キロの間は補給がないことを意味する。
買えるものは買えるうちに買っておくことだ。
ここでパンと水2リットルを確保し、
晩ご飯にお総菜の炊き込みご飯(のようなもの)と魚のフライを買う。

地元の大学生と少し会話をした。
ウラジオストクまで自転車でいくと話すと
「クレイジ-だ。デンジャラスだ。」
と言われてしまった。
東京で言われても何とも思わないが、
現地でこういうことを言われると先行きが不安になる。
「大丈夫!何の問題もないさ!」
と切り返したが、実際にそうであることを願っている。

1日目の緊張と疲れからか、
ホテルに帰りご飯を食べてビールを飲んだら眠り込んでしまう。
今宵のビールはロシア国産のバルティカ・ビール(Балтика)。

8月5日(月)  走行距離:50キロ
<近郊列車 ハバロフスク-Хор>
ビャーゼムスキー(Вяземский)泊

朝5時に目覚ましの音で起床する。
外はまだ真っ暗だ。

今日は、次の町ビャーゼムスキーまで移動したい。
ハバロフスクからビャーゼムスキーまでの距離は約120キロ。
自転車で1日で進めない距離ではない。
しかし、町についてから宿を探すことを考えると、
どうしても早めに到着したい。
ロシアの道路状況が分からない初日から、
120キロを走る自信もなかった。

そこでハバロフスクとビャーゼムスキーの中間地点にある
Xopという村まで近郊列車(エレクトリーチカ)で輪行することにした。
そこからビャーゼムスキーまでは60キロもないはずだ。
それにXopの駅はウラジオストクへと向かう幹線道路M60のすぐ側にある。

そうしたわけで、朝から切符を買おうと5時に起床したのだが、
窓の外、ハバロフスクの町はまだ暗闇の中だった。
6時半頃になってようやく外が明るみはじめてきたが、
空には暗い雲が広がっていた。

筆談を駆使してXopまでの切符を購入し、
7時24分発の近郊列車(エレクトリーチカ)に乗り込んだ。
人はまばらで日本の電車のように混雑していることはなかった。
座席同士の感覚も広く、自転車はバラさずにそのまま持ち込むことができた。
自転車に関して何も言われなかったので特に問題ないのだろう。

列車はぐんぐん山を登っていく、
さっきよりも雲が近くに見えるような気がする。
しばらくすると雨が降り出した。
列車の窓から雨が降り込んでくるが、誰も気にした様子はない。
かばんからビニールのカッパを取り出して、着込んでいる。
窓を閉めるという発想はないのだろうか。

9時過ぎに列車はXopに着いた。
荷物を整理して、ようやくウラジオストクに向けて長い道を走り出す。
天気は小雨、風は前から吹いてくる。

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鹿注意!?

道は山の中をひたすらアップダウンを繰り返しながら進む。
宿の心配やら興奮らで、何が何だか分からぬままペダルを回し、
気がつけば2時過ぎにはビャーゼムスキーの町に着いていた。

町中の小さな宿では宿泊を拒否されたが、
スーパーで食料(パン)と水を調達することができた。
はやく宿泊先を探さねばならない。
町中から国道沿いに戻ったところで、2件目の宿を発見する。
宿も警備が厳重だ。
敷地に入るまでにまず鉄製の大きなゲートがあり、
その敷地の中に、2階建てでさほど大きくない建物があった。

出迎えてくれたのはリズという女の子だった。
背中の空いた服を着ていて、
うなじの下あたりにはばたく鳥のタトゥーがあった。
かわいく愛嬌のある顔立ちで、この国にきてよかったと思った。
非常に単純である。

ダブルルームしかないがいいかと聞かれたが、
安全確保のためのお金は惜しまない。
国道の側の林でキャンプすることに比べれば、
部屋代ぐらいいくらでも払いますとも。
宿を確保した安心感からか、どっと疲れがでた。
内装はひどいものだったが、そんなことは一向にかまわない。
金色の巨大な扇子に、豹柄の一人がけソファー、シーツの色は紫だった。
まことにインターナショナルなセンスである。

ビールを飲みながら、リズに簡単なロシア語を教えてもらう。
1,2,3、HowMuchなど最低限の単語をこのあたりで覚える。
「あなたのようなとってもきれいな人に、
ロシア語を教えてもらえて今日はすごくいい日だったよ。ありがとう!」
と英語で伝える。英語は通じないが、こういうことは何語で話そうが大抵通じる。
2本目のビールを飲んだあたりで、眠くなってきたので就寝する。
屋根と壁がある所で寝られるのはとても素晴らしいことだ。

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宿にて 本日のビール Kozel黒(チェコ産)

8月6日(火)  走行距離:100キロ
ビキン(Бики́н)泊

6時半過ぎには外が明るくなり始め、
リズにありがとうと言って宿をでた。
天気は快晴だった。

次の町、ビキンまで100キロ。
今日から本格的な自転車旅行の始まりだ。

道は相変わらずアップダウンを繰り返している。
この国の道路には、陸橋やトンネルを作るという発想がない。
地形に沿ってそのまま道を舗装しているので、
登っては降りて、登っては降りてをひたすら繰り返す。
自然の山が一直線に登り続けるか、あるいは下り続けることはあり得ない。
地表ってこんな形をしているのかと身を持って体験するにはいい場所だ。
しかし、非常に体力を消耗する。

山中の一軒しかない小さなレストランで休憩していると、警官に声をかけられた。
言われた通りにパスポートを差し出すと、
レギストラーツィアが昨日のハバロフスクで切れていることを指摘される。
ロシアを観光ビザで訪れる外国人は全員、
どこに何泊するかという滞在登録(レギストラーツィア)をしなければならない。
昨日ハバロフスクでは滞在登録をしていたが、
ここビャーゼムスキーで滞在登録をしているはずもなかった。

旅が終わった・・・と思った。
しかし、ビザが有効期限内であることを指し示すと納得してくれた。
何が何だか分からないが幸運だったと思う。
今回ばかりはロシア語が分からないことがいい方向に働いたのかもしれない。

その後、道は未舗装路に入った。
石がごろごろと転がっているような状態で、
時速が10キロもでないような道が続く。
車も砂埃を巻き上げながら、スピードを落として通過していく。
ひぃひぃ言いながら、それでも前へ前へと進んでいくと
今度は大降りの雨が降ってきた。
ロシアに挑まれている。

へとへとになりながらも、3時過ぎにはビキンの町に到着し、
国道沿いの宿に泊まった。
今日もダブルルームで、内装は変わらず趣味が悪い。
金髪のおねえさんのホログラム写真が額装してあり、
壁には赤色の回転等が付けてあった。
これ一体どんなシチュエーションで使うんだろう。

道路を挟んで、宿の向かい側に軽食を出している売店があるのに気がついた。
言葉ができないので、食べている人を指さし、同じものを出してもらう。
炊き込みご飯(のようなもの)とクレープの皮(のようなもの)と
暖かい飲み物のセットだった。
涙が出るほどうまかった。
思い返せば、この旅で暖かい食事は初めてだった。
すぐに食べ終わり、ご飯をもう一杯おかわりした。
さっきからひっきりなしに車が止まり、このセットを食べてすぐに出て行く。
どうやらここは長距離ドライバーに人気の店のようだ。
思わぬ繁盛店を発見して嬉しくなった。

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暖かい食事が、何よりもエネルギーに

部屋にもどって
今日もビールを飲んで、眠りについた。

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本日のビール Cervena Selka(ロシア産)

8月7日(水)  走行距離:55キロ
ルチェゴルスク(Лучегорск)泊

ゆったりと8時過ぎに起きて、
パンをしっかり食べてエネルギーを補給する。

今日の目的地ルチェゴルスクまでは55キロぐらい。
昨日に比べると約半分の距離だ。
天気も快晴で、意気揚々とスタートする。
太陽はでているが照りつけるような暑さではない。
気がつけば相当登ってきたのか、山の上の空気だった。

町をでて数十キロ。
アムール川の支流、ビキン川に大きな橋が架かっている。
橋の上から見下ろすと、
川岸に車を止めている家族連れがいるのが目に入った。

国道をそれて川に近づいていくと、歓迎して迎え入れてくれた。
お父さんと一緒にビキン川で泳いで、ご飯を食べさせてもらった。
家族旅行でこのあたりにやってきたらしい。
車にはキャンプセットと調理道具がぎっしり詰まっていた。
ロシアのお酒を飲むかと聞かれたが、
この時ばかりは自転車旅行なのが悔やまれた。
今日の宿泊地はまだ40キロぐらい先だ。

楽しく川遊びをした後、ルチェゴルスクまで再び走り出す。
天気は良く、道もいい。
ギアをアウターにいれて残りの40キロをすっ飛ばした。

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町に着いたら、一番最初にすることは宿探しだ。
何人かの人にホテルを尋ねて回って、今日も無事にたどり着いた。
ホテルのドアを空けると中は真っ暗。
こりゃまずいかなと思ったが、おおきく声をかけると優しそうなおばさん2人がでてきてくれた。
自転車旅行中であることを話すと、喜んで迎え入れてくれた。
旅は出会いである。

宿が見つかれば、次は食料を探して町をさまよう。
ロシアのお店は、外から見ただけでは大抵何を扱ってるのか分からない。
中が覗けるような窓はなく、分厚い鉄のドアが街路と店内を隔てている。
窓があったとしても、採光をするためであって
ショーウィンドーのような役割は果たしていない。
そして、窓が割られないように外側には鉄格子がついている。
マガジン(Магазин、店)と書いてあれば、
おそらく食料品を扱う雑貨店のような所だろうと想像はつくが、
実際の所は中に入るまでよく分からない。
意を決してドアを空けてみると、
オートマガジン(Автомагазин、車用品店)だったり、
ドラッグストア(Аптека)だったりする。
ノートPCがずらっと並ぶ電気屋だったこともあった。

そうこうして、明日の食料(パン)と水2リットルを確保したものの
手頃なレストランを見つけられずにいた。
諦めて晩ご飯にカップ麺と缶ビール(カールズバーグ)を買って宿への道を
とぼとぼと歩いていた時のことだった。
知っている数少ないロシア語が目に飛び込んできた。
пиво(pivoと発音)、そう、ビールである。
看板に続く階段を下っていき、おそるおそるドアを空けると、
そこは・・パラダイスだった。

壁には10以上のタップがつながれていて、
黄金色のピルスナーから琥珀色のアンバーエールまで
たくさんビールがグラスに注がれるその時を待っていた。
500mlぐらいの大きなプラコップで、
50ルーブル(150円)もしないような値段だった。
結局1リットル以上飲んで、ふらふらと千鳥足で宿に戻るのだった。
ここはビール好きにとってのパラダイスだ。

上機嫌になって宿に戻ると、
宿の優しそうなおばさんがピザを出してくれるという。
そういえば、お腹がすいていたんだった。
すっかり忘れていたカールズバーグと共においしいピザを食べ、
満ち足りた気持ちで眠りについた。

嗚呼、なんと幸福な1日であることだろう。

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ルチェゴルスクのレーニン像

8月8日(木)  走行距離:80キロ
ダリネレチェンスク(Дальнереченск)泊

パッキングを済ませて、
さぁ出発するぞと意気込んでいたが、外では大雨が降っていた。
幸せな1日の後には、試練がまっているものである。

素敵なビアバーと素敵な宿を見つけたことで、
もう1日ぐらい滞在したい気持ちがあったが、
どうしても行かねばならない理由もまたあったのである。
この先の町、レソザヴォーツク(ルジノ)まで行くことができれば、
ルジノ駅始発ウラジオストク行きの列車に乗ることが出来る。
逆にルジノ駅まで行けなければ、
モスクワやハバロフスクから走っている長距離列車に乗ることになってしまう。
ハバロフスクからここまで自分の足で来たんだという自負があり、
どうしてハバロフスク発の列車には乗りたくなかったのだ。

幸い30分もすると雨が小降りになってきたので、
レインウェアに身をつつみ、次の町ダリネレチェンスクへと漕ぎ出した。
このあたりはアイスランドの経験が役立っている。
あの国はとにかく天気が悪く。風も強い。
大事な教訓は、
「It’s not always sunny, but It’s not always rainy」
(いつも晴れているとは限らないが、いつも雨であるとも限らない)
一日に何十キロも移動すれば、天気もまた変わるのである。
大事なことは前へ進むことだ。

昼過ぎには雨もやみ、太陽がでてきた。
今日も山越えである。
ロシアを走っていて山越えしない日はない。
昨日、アウターで飛ばしすぎたせいか、膝に痛みを感じるようになった。
相当疲労してきたのか、ずいぶん速度が落ちてきていた。
どうしてこんなに進まないのかと自分の体を疑いながらも必死に前へと進む。

ふと自転車の前輪がへこんでいることに気がついた。
パンクだ。
どうしてもっとはやく気がつかなかったんだろうか。
痛んでいたのは自分の体ではなく、自転車だった。
チューブを交換して再び走り出す。

天候やトラブルに見舞われながらもダリネレチェンスクまで走ることができ、
国道近くに宿を確保した。
宿のお姉さんはとってもきれいだった。
名前は、ダーシャといった。

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この国はきれいなお姉さんのがインフレが激しい。
きれいなお姉さんが、モデルや女優であったとしたなら、
それはそうだろうと納得した気分にもなるものだが、
ここではスーパーにも駅にも空港にも
モデルかとに見まごうような大変見目麗しきお姉さんがいる。
そして、ここダリネレチェンスクの宿の受付にも。
幸せな1日の後には、つらい時期があるが、
それを超えればまた幸せな時間がやってくるものなのである。
今日の宿はいい宿だ。

食堂でご飯とビールを頂き、
本日もほろ酔い気分で幸せに眠りについた。

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本日のビール レーベンブロイ・デュンケル(ドイツ産)

8月9日(金)  走行距離:70キロ
レソザヴォーツク(Лесозаводск)泊

濃い霧がでていた。
100メートル先は白いもやの中だ。
走り続けてきた国道はものすごい速度で長距離トラックが走っていく。
トラックにはねられたら自転車などひとたまりもないだろう。

後方からやってくる車に神経を使いつつレソザーヴォツクへと向かう。
ヘッドライトと赤色灯をそれぞれ後ろ向きにつけた。
ハバロフスクから350キロ以上南に向かって走り続けてきたが、
考えてみれば、それも今日で最後だ。

10キロほど走ったところで、再び前輪に違和感を感じる。
また空気が抜けていた。
チューブを外してパンクを修理し、
タイヤの外側と内側を入念にチェックする。
シュワルベのマラソンというかなり強固なタイヤをはいていたのだが、
それを突き破ってガラス片が刺さっていた。
どうりで昨日かえたばかりのチューブが再びパンクするわけである。
細いアーレンキーでどうにかガラス片をタイヤから摘出することができ事なきを得た。

パンクを差し引いても、
膝の痛みがあり、明らかに平均速度が落ちているのを感じていた。
それでも、ただ前進あるのみだ。

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ハバロフスクから405キロ ウラジオストクまで361キロ

予定より時間がかかったものの16時くらいにはレソザヴォ-ツクの町についた。
今日は宿を探すよりも先にやらねばならないことがある。
駅に向かって、明日の列車の切符を購入することだ。

ルジノ駅の近くで宿が見つかることを期待していたが、
どうやらその可能性はなさそうだ。
駅舎は綺麗なものの、付近の道路は未舗装で
煤けて老朽化した住宅がポツポツと並んでいた。
たまにある大きく立派な家は四方を鉄柵に囲まれていた。
通りがかるひとの視線が痛く、この場所に長くいようとは
とても思えない雰囲気だった。

切符を購入し、駅から2キロほど離れた場所で宿を見つけてチェックインした。
列車の時間は、朝の6時47分。
夜明けと同じくらいの時間だ。
暗い時間にこのあたりを走って、駅まで行くことを考えると非常に不安だ。

宿のお姉さんはいい人だったが、
部屋のトイレには「注射器捨てるな」のマークが貼ってあった。
日本だと西成あたりで見かける表示だ。
駅の近くで感じた嫌な雰囲気はどうやら当たっていたようだった。

列車に乗るため朝早く宿を出ることを告げると、
お姉さんは6時にタクシーを呼んでくれるという。
自転車も乗せて駅まで運んでくれるらしい。
バックパッカーの基本中の基本として、
安全上の理由から、暗い時間にタクシーで移動するのは避けるべきだ。
いかに貧乏旅行でもこちらが現金を持ち歩いている旅行者だというのは明白だし、
車で郊外にでも連れ出されてはひとたまりもない。
イランの空港に深夜2時頃に到着したことがあったが、
その時も朝日が昇るのを待ってから行動したのだった。

しかしだ、暗い時間に自転車で走行することとどちらが安全なのか。
悩んだが今回は、タクシーに乗ることにした。
朝、タクシー運転手に会って、何かがおかしいと感じたらそこで拒否することもできる。
それに、宿のお姉さんの話しぶりから、
こちらの身の心配をしていろいろ気を遣ってくれているのだと感じた。
暗い中自転車で駅に向かう危険だから、タクシーを呼んでくれたのだと。
非常に直感的だが、宿のお姉さんがこの場所で唯一信頼できる人だと思えた。

そうは言うものの、
不安は頭の中をぐるぐると駆け回る。
財布には多めに現金を入れておこう。
万一の場合には、全面的に降伏してお金を差しだそう。
あんなにいい人そうだった宿のお姉さんだが、
実はタクシードライバーとグルだったらどうしよう。
明日の朝、お姉さんが運転手と話すかどうか
つまり、2人に面識がありそうかどうかは必ずチェックしよう。
余計なことを頭がパンクしそうなほど考えた。
夜は過ぎていく。

本日のビールは、名称不明。
写真を撮る前に片付けられてしまったので。
こんな夜にも飲むものは、飲むのである。

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8月10日(土) 走行距離:5キロ(市内散策)
<列車 ルジノ駅(レソザヴォーツク)~ウラジオストク駅>
ウラジオストク(Владивосток)泊

薄い睡眠をへて6時前に目覚める。
ほぼ時間通りにタクシーは、宿の外にやって来た。
お姉さんに別れを告げて、タクシーへと向かう。

緊張の一瞬、そこにいたのは笑顔の好青年だった。
拍子抜けするような思い。
自転車も全て積み終えて車は走り出した。
なんとなく会話を途切れさせたくなかったので、お互いに自己紹介をした。
彼の名前はセルゲイ君。レソザヴォーツクの生まれ。
こちらは日本人であること、ハバロフスクから自転車で走って来たことなど、
そもそも出来ないロシア語とジェスチャーを駆使して世間話をした。
セルゲイ君は、楽しそうに屈託なく笑っている。
とても好感の持てる青年だ。この状況でなければ。
昨日自転車で走ってきただけに、宿から駅までの道は知っている。
ほがらかに会話をしながらも、ありったけの警戒心で道順を確かめる。
少しでも道をそれようものなら・・・

そうこうしている間に、タクシーは無事にルジノ駅に到着した。
結局は、セルゲイ君も宿のお姉さんも親切でとてもいい人だった。
こういう人を疑いの目で見ていたのは恥ずかしいことだ。
だけども、旅を続けているとどうしても人を疑ってかかれなければならない時がある。
それは嫌なことだが、旅をする上で必要なことでもある。
騙そうとする人がいなかったら、出会う人全てを信頼できたら、
それはどれほど良いことだろうか。

辺りが明るくなり始めた頃、
列車はウラジオストクへ向けてレールの上を滑り出した。
切符が約450ルーブル(1350円ぐらい)と、
自転車が別料金で約40ルーブル(120円ぐらい)だった。
客車の後方にドア一枚隔てて、大きな荷物を置くためのスペースがあった。
自転車もただの大きな荷物だ。わざわざバラしてケースにいれる必要もない。
日本より自転車を運ぶのは容易いかもしれない。

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夜明けと共に動き出す

太陽が昇ってくるにつれて周囲の気温も上がっていったが、
冷房のない列車の中は快適とは言い難い状況だった。
窓の上部を少しだけ動かすことが出来て、
風をいれることができたのがせめてもの救いだ。
冬には雪に埋もれるこの地、冷房が必要な期間はそう長くはないのだろう。
寒い季節には暖房がつくのだろうか。

天井からはテレビがぶら下がっていて、
子供向けのアニメが流れているのをぼんやり眺めていた。
昨日の緊張からか、1時間ばかりうとうとと眠り込んでいたように思う。
列車は次の大きな町、スパッスク=ダリニー(Спасск-Дальний)に停車した。
レソザヴォーツクを出発した時には、
半分くらいしか埋まっていなかった席も、ここで満席に近い状態になった。
空いていた隣の席には、大学生くらいのカップルが座り、
列車が発車するよりはやく2人だけの世界に入って行った。
話しかけようかと思ったが、あまりに楽しそうだったので、
邪魔をするのはやめて再び眠りについた。

列車はシベリアの山の中を走ってきたが、
ウスリースク(Уссурийск)を過ぎたあたりで人工物が目立つようになった。
ハバロフスクを出発してからずっと眺めてきた山の中の景色とは違う。
家々の連なりや大きな工場を見ていると、確かに都市に近づいているのを感じた。

出発してから約6時間、13時にはウラジオストク(Владивосток)駅に到着した。
ハバロフスクから5日間かけて400キロを進んできたことを考えると、
後半の350キロは感慨を覚える間もなかった。
ウラジオストク駅にホットドッグスタンドがあるのを見つけて、
朝からまだ何も食べていなかったのを思い出した。
この国でこうしたホットドックスタンドに出会うのは初めてである。
都会は食糧にありつくのも簡単だ。

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ウラジオストク駅にて

駅を始点にウラジオストク市内を自転車で散策する。
ウラジオストクの街並みは石造りの重厚な建物が並んでいる。
ここだけ見るとよく言うように一番身近なヨーロッパなのかもしれない。
しかし、山奥を走ってきた身からすると、
ウラジオストクだけがなんとなく他から浮いているように見えた。
日本人が伊勢丹や東京駅の建築だけを見て、そこをヨーロッパだとは思わないように、
ウラジオストクを見てヨーロッパだという気持ちは湧いてこなかった。

ホテルにチェックインして、
シャワーを浴びれば、すべきことはあと一つ。
пиво(pivoと発音)、そう、ビールを飲みに行こう。
ガイドブックにも乗っているレストラン、
グートフ(гутовъ)へ向かった。
ここの特徴は何と言ってもビールを自家醸造していることだ。

広い店内にはゆったりと座れるテーブル席がいくつもあった。
しかし、ビールを飲むならカウンターに限る。
ここは何と言ったってブリューパブ(BrewPub 醸造もする飲み屋のこと)だ。
給仕してくれるような席に座ったって一人で楽しめるはずもないのだ。
幸いバーテンダーのイリヤ君は、英語が達者だった。
ここまでほとんど英語を話す人に会わなかったことを考えると、
やはりここは都会である。

昼間に失った水分を取り戻すため、たくさんのビールを飲んだ。
最後にモヒートを頼むと、
きちんとミントをつぶして香りをだした正統派のモヒートを作ってくれた。
ありがとうイリヤ君。
ふらふらとした足取りで宿まで戻る。

我がモヒートは、グートフで。

ービール情報ここからー
グートフで扱っている生ビールは、Lager、Red、Dark、Pineappleの4種類。
イリヤ君おすすめのPineappleは、
発酵タンク内の麦汁(麦芽を煮出して糖化した液体)に、
通常通りホップ、イースト、そしてパイナップルジュースを加えているという。
パイナップルの爽やかな香りと共に、発酵による炭酸の刺激が心地よい。
ビールというよりも発泡性の果実酒といった趣だ。
Red、Darkはどちらも、よく言えば素直な味、悪く言えば個性のない味だった。
ホップは、チェコのザーツのような紳士的でマイルドなもの。
アメリカ系のような個性の強い香りは感じられなかった。
もしかしたらロシアの国産ホップだろうか。
ホップ香りが強くない分、麦汁の味がはっきり分かったが、
こちらも手作りビールらしい優しく素直な印象だった。
いかにもクラフトビールだぞというような主義主張のある強いビールでない分、
何杯でもごくごくとおいしく飲むことが出来そうな、そんなビールだった。
ーここまでー

8月11日(日) 走行距離:50キロ 
ウラジオストク市街~空港まで自走 
20:00 ウラジオストク空港発

目が覚める。
頭が重い。
この旅で初めての二日酔いだ。
それでも問題はない。
今日走るべき距離は、空港までのわずか50キロ。
日本へのフライトは、20時ちょうどだ。

結局、時間ぎりぎりにホテルを出て、
市内のショッピングセンターのフードコードでお昼を食べた。
ここで初めてクヴァス(квас)を飲んだ。
クヴァスは、黒パンを発酵させて作るロシア特有の飲み物だ。
発酵による優しい炭酸と1%程度の弱いアルコールが含まれている。
見た目はスタウトのような濃い褐色で、
飲んでみるとすっきりした酸味が体の中にすっと沁み込んでいくようだった。
好き嫌いが分かれると言うが、ビール好きには好まれる味だ。
ランビック(ベルギーの自然発酵ビール・強烈な酸味が特徴)が好きなら、
きっとクヴァスのことも好きになる。

この日、走り出したのは13時を過ぎてからだった。
すぐに北部の山中とは気候が違うのを感じた。
海辺の太陽は強烈で、ジリジリと肌を焼くようだった。
幸いにも町の近くだけあって、どこにでも水を買えるような売店があった。
余ったルーブルを消費する目的もあり、
水を買い、アイスを買い、ゆったりとしたペースで空港まで進んだ。
ずっと前から吹き付けてきた風が、今になって後ろから吹いていた。
ロシアの風が後ろから背中を押してくれているのか、
それとも、はやく帰れと言っているのか。
この時ばかりは、名残惜しい気持ちがあり、
そんなに急かさないでくれよと言いたいほどだった。

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ハバロフスクまで732キロ 空港まで9キロ

18時前にはウラジオストク空港に到着した。
自転車を飛行機の乗せるため、
前輪を外して少しコンパクトにして輪行バックにつめこんだ。
そして、無事に出国審査を終えた。

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ウラジオストク空港にて チェックインを待つ

最後に余ったルーブルを、胃の中に納める。
出発ロビーで飲めるビールはアサヒ一択で、ワインの方が選択肢が多かった。
いくら日本に近いとはいえ、ここではアサヒは輸入ビールだ。
カムチャッカ半島で釣りをしていたというアメリカ人のグループに出会い、
ビール片手にお互いの旅の話をしていると、
いつのまにか搭乗時間になっていた。

そうして20時にロシアの大地を離れた飛行機は、
上昇を始めたかと思えばすぐに下降し、
たった2時間のフライトで東京へと戻ってきたのであった。
こうして2013年夏の極東ロシア自転車旅行は幕を閉じた。

概算距離:420キロ+α(うろうろしているため・・)

町と町の間隔は以下のサイトを参考に。
Della Trucking
http://www.della-az.com/distance/?cities=382,53097,30873,30290,52260,30376,30486,51944,17629


果たして総予算でいくらかかったのか?
自由旅行のためのビザ取得方法とは?
田舎でホテルを探すには?現地の道路状況は?などなど・・・
「第二部 ロシアを自転車で旅する技術」へと続く!

黒宮 考平

1989年生まれ、東京在住、ゆとり世代。自転車で旅をしたり、木工、シルクスクリーン、小ネタなどジャンルを問わずモノ作りをしています。

作りたいものがあれば、なんでも制作お手伝いいたします!お気軽にご連絡ください。
kohei712@gmail.com


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